「猛烈販促塾」地域愛は宝

3月20日(水曜)、東日本大震災から13年、福島は第二の故郷。

十三年前の「三月十一日」に起きた東日本大震災、私は車で倉庫に向かう途中でした。

大地震は交差点で停車中に発生、信号機の異常な揺れ方で緊急事態の発生を悟りました。

その後の記憶は曖昧ですが、とにかく急いで帰社し、社内の安全を確認後に急いで帰宅、

倒れたテレビを戻してスイッチを付けた瞬間、流れた映像は「南相馬市」の津波でした。

実は前年、私は南相馬市でセミナー講師を務めており、一年間、南相馬市に通いました。

一年間という長期でしたので、受講生の方々とは、セミナー終了後は家族のような感覚。

テレビで映る南相馬の惨状を見た時、その方々の顔と強い不安が、私の頭を過りました。

ただそれから数日間は、私の住む埼玉も、震度五クラスの大きい余震が幾度となく発生、

只管「不安な日々」を送っていましたが、地震発生から「十日くらい」経った頃のこと、

受講生の幹事役であった須藤さんから、「みんな無事です!」とのメールが届きました。

この連絡を受けた瞬間、私は泣きました、やがて電話も出来る様になると、みんなで涙。

今思えば、不思議な御縁としか言いようがないです、東日本大震災の前の年ですからね。

この思い出深き「南相馬市でのセミナー」の記憶は、十三年を経ても全く色褪せません。

そして改めて感じます、「南相馬市での一年間」は私の誇り、その時の仲間は私の宝物。