「ミッドウェイ」運命の海
6月5日(水曜)、ミッドウェイ海戦から「八十二年目」の夏。
今から八十二年前の昭和十七年六月五日、日米両軍がミッドウェイ島沖で激突しました。
運命の一日と言われるミッドウェイ海戦です、結果は、日本側が「空母四隻」を失う大敗。
戦史では「太平洋戦争の分岐点」と言われます、但し本当の分岐点はマリアナ沖海戦です。
マリアナ沖海戦などを含む「サイパン島の失陥」こそ、太平洋戦争のターニングポイント。
とは言え、真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争で、日本が初めて「大敗を喫した」のは事実。
原因は色々とあるでしょうが、日本側が、空母を攻撃するのに「魚雷」に拘ったのに比べ、
米軍側は「爆弾」だけでも挑んできた事、現に、日本の空母四隻に致命傷を与えた攻撃は、
急降下爆撃機による「爆撃」でした、これを英断というか蛮勇というのかは分かりません。
理由は簡単、爆弾では大型の軍艦は沈まないからです、沈没させるには魚雷しかないです。
事実、日本側の「空母赤城」と「空母加賀」は大火災を起こしたものの沈んではいません。
日本まで引っ張って帰れないと判断した段階で、止むを得ず、自軍の魚雷で沈めています。
それは兎も角、ミッドウェイでは蛮勇とも言えるような「米軍の捨て身の急降下爆撃」が、
結局、米軍に奇跡的な大勝利を齎した訳です。日米両軍斯く戦えり、それがミッドウェイ。