「焼夷弾」ガラスのうさぎ
3月10日(金曜)、東京大空襲から今年で「78年目」、平和への祈り。
戦争末期の昭和二十年三月十日未明、米軍による東京への大規模空襲がありました。
しかも米軍爆撃機(B-29)から投下されたのは焼夷弾、所謂「ナパーム弾」ですので、
人力で水をかけるレベルでは消化は不可能、結果、東京の下町は焼き尽くされました。
焼夷弾の絨毯爆撃の恐ろしさは「大火災」、日本の木造家屋は一溜まりもありません。
さらに住宅の庭などに設置された、爆風から身を守る為の「防空壕」もほぼ無意味で、
防空壕の周囲で大火災が発生すれば、小説「ガラスのうさぎ」のタイトル名のように、
ガラスも溶けるほどの超高温に囲まれ、同時に濛々たる煙で酸素不足に陥ってしまい、
完全密閉ではない「防空壕」は、この三月十日の東京大空襲の場合は寧ろ危険でした。
当然ですが、外はもっと危険です。東京大空襲を語り継いでいる江東区の資料館では、
渦巻く炎の中を、親子で逃げ惑ったあげくに、逃げ切れずに亡くなられた方の写真や、
重なるように真っ黒に焼け焦げた「多数の市民の犠牲者」の写真が紹介されています。
非戦闘員を巻き込む無差別爆撃は絶対に行ってはダメ、これは米国の大きな過ちです。
東京大空襲、令和を生きる子供達にも語り継ぎでいきたい、大きい歴史の教訓ですね。