「秋商戦」大苦戦の製造業
8月20日(土曜)、今日は「蚊の日」、そして猛暑も終盤戦。
暦の上では秋ですが、まだまだ猛暑が続いています、今年の夏は本当に暑いです。
ただ酷暑に苦しんだ八月もいよいよ後半戦とあって、百貨店やホームセンターでは、
秋冬向けの新商品がズラリと並び始めました。物販業界は「秋モード」に突入です。
プラスチックの「原料価格」は上昇中、メーカーは青息吐息。
直近の猛烈販促塾で詳述しましたが、プラスチック原料はまだ緩やかに上昇中です。
故に製造企業の苦悩は計り知れません、殊にアジアに拠点を構えるメーカーは大変。
私共の周囲でも、旧知の製造メーカーや町工場が、次々に「自主廃業」しています。
俗に「機械を止める」とか「看板を降ろす」とか、柔らかい言葉で表現されますが、
この自主廃業した「会社の数字」こそ、現在の製造業界の苦境を表しているのです。
陣頭指揮する「中小企業」の経営者、率先垂範の栗林司令官。
コロナ禍の今、中小零細企業の経営者は、自ら営業の先頭に立って奮闘しています。
ただ残念というか、今年顕著なのは、中小企業の開発意欲が大幅に低下している事。
このお話しは後日、直近の猛烈販促塾の質疑応答と併せて特集してみたく思います。
さて、陣頭指揮、率先垂範、自ら先頭に立ったリーダーといえば硫黄島の栗林中将。
湧き水が一滴も出ない火山島で、日本軍(約2万人)は、喉の渇きに苦しみながら、
米軍上陸部隊(約11万人)、さらに米海軍の上陸支援部隊(約25万人)と激闘。
米海兵隊司令官をして、「海兵隊史上、最も過酷な戦いだった」と言わしめました。
この日本側の勇戦奮闘を支えたのが栗林中将、まさに指揮官先頭で戦った訳ですが、
栗林中将は本来、小笠原諸島全体の防衛が主任務なので、「父島の司令部」に居て、
硫黄島の守備隊に対しては、「しっかりやれ」と指示だけ出しても良かった訳です。
栗林中将の「何が偉かったのか」と言えば、米軍は硫黄島の飛行場を奪取するはず、
そう確信した瞬間、自ら硫黄島に赴いた事。瞠目に値する「決断力と実行力」です。