「ミュンヘン」の松平康隆

6月5日(日曜)、運命の日「ミッドウェイ海戦」から80年目。

昭和17年6月5日、太平洋のミッドウェイ島の周辺で、日米両国の「機動部隊」が激突。

それが「日米戦争の分岐点」と言われるミッドウェイ海戦、あれから80年の月日が経過。

日本側の敗因については、今でも議論が盛んですが、「敵の発見」が遅れたことは事実、

つまり「索敵計画の失敗」は否めません。具体的には索敵機が不足していたと言えます。

実は真珠湾攻撃の時から、南雲機動部隊には索敵機(水上偵察機)が少なかったのです。

 

知財戦略は「特許調査」が肝心、戦いは「偵察と索敵」が鍵。

特許出願の前に行うのが特許調査、似たようなアイデアの「存在の有無」を探ります。

この調査により、見えていなかった「競争相手や敵」を把握する、大抵は数多くいます。

孫子の兵法にある「敵を知り」ですが、ミッドウェイでは、敵空母の所在が不明でした。

敵空母を捜すのは「索敵機」の役割で、通常は「巡洋艦に搭載した水上機」が担います。

因みに、海などの水上で離着陸をするのが水上機、陸上基地の滑走路を使うのが陸上機

空母の飛行甲板を使うのが艦上機、海軍は明瞭なネーミングで航空機を分別しています。

さて、その「水上機」を搭載する巡洋艦ですが、「巡洋艦は艦隊の目」とも呼ばれます。

ところがミッドウェイ海戦では、「艦隊の目」であるはずの巡洋艦が・・(次回に続く)

 

松平監督は「ネーミングと気配りの達人」、世界一の名伯楽。

弊社社長が学連に在籍していた時、日本バレーボール協会の会長が、松平先生でした。

ミュンヘン五輪当時、エースであった大古誠司さんに「世界の大砲」という渾名を付け、

高く打ち上げたサーブを「天井サーブ」、二人で行うトリックプレーを「時間差攻撃」、

現在のバレーボールでは「当たり前の言葉」を、全てネーミングしたのが松平先生です。

社長曰く、その松平先生が「唯一、後悔している事が・・」と呟いた事があるそうです。

それは何かの会合で、一人時間差攻撃を発明された森田淳悟さんと御一緒された時の事。

松平先生は、森田さんに対し、「森田君ね、私は後悔しているんだよ・・」と語りかけ、

「森田君が一人時間差を初めて決めた時、モリタジカンサって呼べば良かった・・」と。

この「着眼点」が凄い、そして「選手の努力」を労う心配り、金メダルの陰に松平あり