「ロングブーツ」が大流行

12月25日(土曜)、いよいよ「2021年」も、本当のラストスパートです。

しかし寒いですね、まさに極寒のクリスマス、大寒波の中の大晦日になりそうですね。

そして今、お店や通販ではロングブーツが大流行しております、これは予想通りでした。

例年よりも寒いならば、その冬はロングブーツが売れるのです、決め手は「防寒」です。

シューゼットは靴収納一筋に36年(動画で紹介中)、靴の流行は「気候」が要なのです。

 

逆に流行に左右されない「師走の大定番」と言えば、やっぱり忠臣蔵。

忠臣蔵は、日本人の心に響くだけでなく、奥が深い、前回のブログの続きとなりますが、

播州赤穂藩は、藩主から藩士まで、尊王思想を持った「勤皇の志士」であった訳ですが、

その赤穂藩の藩主「浅野内匠頭」が、江戸幕府から仰せつかった御役目が御勅使饗応役

そして、その儀典の指南役こそが「吉良上野介」、実は両人とも「賢人」の誉れが高い。

 

足利幕府からの伝統は、勅使(天皇の名代)よりも、「将軍」が上座。

賢人である両人に「考えの相違」があるとすれば、それは勅使を上座で迎えるか否か。

実は徳川綱吉の頃は、「勅使は下座」、これに浅野内匠頭と家臣達は義憤を覚えたはず。

彼らは「将軍だって天皇の家来である、故に天皇の名代が下座というのはおかしい」と。

一度目の饗応役の際は、勤皇の志を持つ浅野内匠頭と雖も、足利時代からの礼法に徹し、

「勅使が下座」を黙認するのですが、二度目の際は、吉良に対して執拗に具申したはず。

ただ幕府の権威失墜にも関わる事、浅野の「意見具申」は、幕府にも吉良にも迷惑至極。

そこで浅野は「形だけの喧嘩」を企み、詮議の場で「堂々と持論を述べよう」と試みた。

しかし幕府はそうはさせじと即日切腹、やがて浅野の家臣達は、山鹿流の陣太鼓で・・。

大好きな忠臣蔵、私の山鹿流の陣太鼓が気に掛かるの「拙い小噺」でございました(笑)

さて今日の写真も「師走」、新座市商工会で3年前の年末の御挨拶(当時の山野辺局長)